2020年5月30日土曜日

キングダム 見逃し



キングダムで秦の始皇帝、嬴政(エイセイ)の名が、若い人々にも知られる様になりました。


本場中国での始皇帝のイメージは、豺狼(さいろう)の声を持って、無慈悲で恐ろしい王様という印象の皆様が多かった。


呂不韋(りょふい)に"奇貨居くべし"と言わしめて、彼の策謀によって、秦のトップレベルにまで成り上がったというストーリーが一般的です。


その呂不韋に死を授けて、自らトップに立ったのが嬴政。


彼の母親は、彼が本当の血筋を引いているのかいないのかに謎を残して、世を去りました。


それがトラウマにもなっていたと・・・。


始皇帝登場以前から、彼の地では中原という発想があって、春秋戦国時代以前の ”周” でさへ西戎扱いで、化外の人々だった。


その周より更に西方の国が、秦だった。


始皇帝が現れる前まで、秦は中原の国々から有能な人物を登用しました。


百里奚(ひゃくりけい)、商鞅(しょうおう)、范雎(はんしょ)などは有名で彼ら毎の小説が、あるくらいに昔から有名です。


将軍では王 翦(おうせん)が有名で、老齢になって始皇帝政より命令が下された時に、多くの謝礼を望んで秦の軍事力の大半を指揮して、戦に出かけた。


この将軍は政の猜疑心を知り抜いていて、自分に謀反の心の無いことを、欲張った恩賞でかわしたとして有名な逸話があります。


白起将軍も有名で、天才的な戦いで功績を収めたのが、本国の猜疑を買って自刃に追い込まれた将軍として有名です。


彼はチビだったそうです。


にもかかわらず敵国には大いに懼れられた辣腕を振るった将軍です。


周は封建制を取り入れて、その制度の一生をトレースしてその終末期は、末端の地位の国々が中央をしのいで周自身は先細りして行き、ついには朝貢していた化外の国々に覇権を奪われて、援助を求める立場へと凋落して行きました。


夏王朝は殷(商)に、殷王朝は周に斃されて国の名はそのたびごとに変わり、それを易姓革命と言われてきました。


彼の地では多くの民族が覇権を巡って争っていたし、中華思想も手伝ってか、ジェノサイドが基本だった。


易姓革命 ≒ 大虐殺 の歴史を歩まざるを得なかった。


彼らから見て東夷の国は当時、まだ国家としての体はなさずジェノサイドもなくて、採集狩猟生活を1万年以上も続けていた。


当時から清に至るまで、かの国の民族は海へは、海の向こうへは、関心が無かった。


台湾で漂流した日本の民が台湾の人々の手で虐殺された時、明治政府はその責を追及して清に賠償を求めましたが、化外の島ゆえ清にはかかわりが無いと拒絶された程。


当時の敗戦の憂き目に遭った国々は海へ出て、この国に漂着した人々もいたのかもしれません。


海へ出てしまえば、命が助かるかもしれない。


大陸にいては何時かは、殺される。


海に出てしまえば、助かるかもしれない。


大航海以前、明の鄭和はアフリカまで赴きましたが、それでも尚かの大陸の国々は海外への関心は薄かった。


ちなみに鄭和はアラブ系の宦官だったという事です。


かの大陸が海で関心を持ったのは、殷(商)の占卜に使用されていた亀甲と子安貝くらいだった。


フカひれもキンコも清の頃の日本からの輸入で中華料理のレシピに登場したそうです。


話がそれましたが、秦の始皇帝は旅行中に亡くなり、宦官と愚昧な息子によって敢無く滅亡しました。


始皇帝は初めてかの大陸を度量衡で統一した人だった。


かの地・大陸の発想・思想は易姓革命のもと、連綿として今なお近隣諸国を脅かしています。


キングダム恐るべし!


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