2020年8月12日水曜日

時間と重さと宇宙の不思議

時間も重さも場所が変われば、正確には少々変化するのが、今の科学では証明されていて細かい事を言えば、ほとんど無視できるほどではあるけれど相対的には場所や運動で同じモノの様に見えても微妙に違いが出るのが、この世の中なのだそうです。





その微妙な誤差という件は、例えばカーナビなどでお世話になっているGPSでは量子力学の知識にお世話にならないと正確な位置が把握できないという事で、その技術のお陰で私たちは、日々の暮らしを昔以上に快適に過ごせています。


量子力学の成果はGPSでもう活用されているという事です。


GPS、つまり人工衛星を使った三点測量になると、時間の誤差がGPSに大きな誤差を産んで、車上の自分の今いる位置を画面に正確に示すことが出来ないそうです。


ちなみに地上での三角測量にはその様な誤差は無視できます。


ダムを造るにも、橋梁を造るにも、量子力学は不要です。


けれどもGPSを当てにしてドライブしている時には、量子力学が必要になっているというワケです。





ガリレオがピサの斜塔で重いモノも軽いモノも落下する速さに変わりがない事を私たちに教えてくれて、





ニュートンは万有引力で海王星の存在を予知してその後、海王星が見つかった。





ニュートンの発見した引力の法則では水星の軌道の誤差が解決できなかったけれども、アインシュタインの相対性理論で、ようやく水星の近日点の問題も解決したそうです。





相対性理論の計算で、水星の軌道が表現できたという事です。





さて、宇宙という大きな空間では、時間と質量にはまだまだわかっていない事がたくさんあって、私たちは高さや幅、奥行きと時間のある世界で生きている意識があるのですが、素粒子の世界の話になると、私たちが意識できる4次元での発想では解決できない問題があるそうで素粒子の様な小さな世界では10次元での運動が展開されているという事です。


さらに車いすの天才ホーキング博士が生前、ブラックホールの奥底の熱の問題を提案してくれてから素粒子は、どうやら粒ではなくて弦の様なモノなのではないか・・・?


という論争にもなったそうです。


さて先程の次元のお話。


綱渡りをする人にとっては、綱の上を渡る時は前に進むか後ろに下がるかしか出来ない1次元的な移動しかできないけれど、アリや小さな虫にとっては二次元の移動が出来るように、素粒子にはこの4次元の世界でも10次元の場があって運動が出来るという事なのだそうです。


話しは変わりますが、速い速度で運動している人は静止している人より時間は遅く進むのも証明されています。


つまり、光速に近い運動をすれば、地球上で暮らす双子の兄弟との年の取り方に差が出来てしまうという事です。


もし双子の兄が光速付近の速さで生き続ける様な宇宙船にいて、そこでは地球上の様に早く年を取らない事になります。


でも実際には双子の兄弟は違う場所で生活していても同じだけ時間を費やしていて、光速度で生活していた兄が後で地球に帰れば、弟よりも若い状態で再会する事になります。


ディラックが、電子の状態を数式化する事に成功したら何と、反物質の陽電子の存在が予想されてしまって、実際に陽電子が発見されて反物質の存在が明らかにされました。


この宇宙の真空は私たちが想像している全くの無とは少々違っていて、この宇宙の真空の場ではクウォークが、まるで水中の気泡の様に、泡が湧き出す様に正反同時に誕生しては、それぞれぶつかり合っては消滅したりしているそうで、中にはたまたまぶつかり合う事が他のクウォークに阻止されて、正反出会う機会を逸して真空に存在して陽子や中性子を形作る事になったそうです。


その周りに電子が引き付けられて原子が生まれて、ヒッグス粒子も真空をまるで素粒子の運動を邪魔する様に充満して行って、動きにくさを創り出して、物質に質量を生んだと・・・?


質量は重力で光の直進を妨げるかのように、空間を歪ませているそうです。


空間が歪むと同時に時間の進行も重力で変化する。


時間と重さにはその様な関係があるというのが今の科学で証明されている・・・。


時間と重さと光速には、色々と不思議の種が隠されている様です。

2020年7月22日水曜日

数学 美

ウィキペディア参照


私たちが"数字"を意識するのは、経済とか時間、量程度で、何時も(日常)はその程度のモノだと思います。


後は小学生の後半でせいぜいピタゴラスの定理を教えられて、おぼろげながら三角形の不思議を思い出す程度なのかもしれません。


義務教育を終えるまで数字のお勉強では、私たちは解析学・代数学・幾何学のある事を教わりました。


それらはみんな、自分にとって苦手な数字の世界でした。


解析とは、巨視的・微視的なイメージ、代数とは数字と四則演算の不思議、幾何学は図形や次元との数字の関係のイメージ・・・?という大雑把なイメージです。


という事でその後の人生、何かを比べる時くらいにしか数字は、私たちの生活では登場しない雰囲気です・・・?


ところが数字には色々な秘密が隠されていた・・・。


数字と記号を用いれば、色々な事がイメージできる。


その中には、芸術に通じる美しさも存在している。


数式には、美すら存在しているという事です。


その事については、数学に今までの苦手さを忘れて、判らぬまでもある程度チョッピリ頑張ってみれば、ホウホ、ウナルホドなどと数字・数式の美しさの一端に、感動できるかもしれません。


この感動が、鮮明な方たちなほどきっと、数学に愛された人々なのでしょう。


その様な先生から良く聴かされるお話が、オイラーの等式でしょう。


オイラーの等式.PNG

eはネイピア数。この数字が不思議なところは、は微分しても

が永遠に続きます。


iは虚数。i×i=-1。


πは円周率。


これらはそれぞれ、解析学・代数学・幾何学で登場する数字のお話で、それ等が0と1で数式になる。


無理数たちがこの様な式になった時、0と1で繋がってしまう・・・。


これが数式の美しさを表現している。


数字を愛した人々はソコに美を感じます。


オイラーは息をするように計算していたそうです。


ガウスはこの公式を観て感動できない人には数学のセンスは、哀しいかな無いでしょうとも言われたそうです。


数学にはホトホト縁がなかった我人生(>_<)世の中には、想像も出来ない様な発想で、驚く程の世の中の秘密を暴露する人々が、名を残してきました。


今、ABC予想では日本人の数学者が、しのぎを削って世界の注目を浴びているそうです。

2020年7月19日日曜日

コロナウィルス 生物学

ただ今コロナウィルスが、世界を席巻中です。

このままだとこれはもう第二次大戦並みの歴史的なエポックとして語り継がれる史実になりそうです。

そもそも、事の始まりは・・・?

という前に、ウィルスと生物について少々の復習です。

事の始まりの件はいずれ、歴史として人類はこの事件を評価する事でしょう。
 という事で再びソモソモ地球は、ハビタブルゾーンとして生物が発生できた惑星になりました。

ハビタブルゾーンとはいえ生物が発生するまでには、地球は生物にとって苛酷な時期があった事もわかって来た様です。

例えば生物の発生した地球にとって、太陽の影響が最もハッキリしていて、先ずは太陽から降り注ぐ放射線は生物にとって死の光線も数多く含まれていた。

衛星の月にも影響を受けて来て、銀河系での放射線などにも影響を受けて、何度か全球凍結も経験して、生物はその度に大量絶滅して来たそうです。

生物には、大量絶滅と茎進化、冠進化が少なくともこの惑星では試練(?)としてそれらの幾度かの経験を通して、ラッキーにもそれを乗り越えて来た生物だけが生き残って今も進化している。

地球自身、磁場を形成して地表を太陽風から保護してハビタブル化したし、マントルの対流・プレートテクトニクスなどで、乾燥と湿潤を何度も何度も繰り返して、単純な分子が自己複製機能を持つリボザイムが生成できる環境も後の生物に提供してくれたそうです。

そして、生物は地球で発生した。
生物自身も酸素を大気中に放出して、酸素濃度を上げたり、オゾン層を形成する事にも貢献して来た。

この頃の生物とは、脂肪酸で細胞に膜を形成してRNAを保護する様な古生菌と新生細菌の誕生をイメージしてしまいます。


ウィキペディア参照
生物ドメイン系統図(ウィキペディア参照)

そんなこんな事が起こって結局その後に、バクテリア、古細菌、真核生物などと呼ばれる、3ドメインのカテゴリーで生物は進化してきました。


原核細胞は細胞核やミトコンドリアをはじめとする細胞内小器官がほとんど見つけられないことが最も大きい特徴なのだそうです。

一見、真核細胞より古いタイプの細胞の様に考えたりしそうですが、そのあたりは今では不明で、細胞核を持たない分、メリットもあって進化においてより原始的生物であると想像しがちだけれども、多様な生物種が存在を脅かす現環境下での生き延びる機会とか、非常に早い増殖を可能にするために無駄を省いたシステムを獲得したと考えることも出来るのだそうです。

生物量も真核細胞(生物)の数倍から数十倍に達するとも言われているので、地球上では真核細胞より原核細胞の方が、幅を利かせているのかもしれません。


動物細胞の模式図(ウィキペディア参照)

一方の真核細胞は進化の過程で、ミトコンドリアを取り入れたりして、エネルギー代謝を効率よくこなせる様になって、核膜で覆われたDNAは自己複製機能を確実なモノにするためにミトコンドリアなどの細胞小器官からの干渉をある程度、保護する様な作用があると考えられています。

ここでウィルスは、生物ではなくて生物に寄生して自己複製機能を持つリボザイムを持っているという立場の存在だという事です。

あえて言うなら有機物。

炭素や酸素・水素・窒素やリンの化合物、分子というイメージです。

ウィルス・ウィキペディア参照

ウィルスは宿主を殺してしまうと、自分も自己複製機能を稼働できなくなるので、生物で言うところの死という状態になります。

ウィルスは簡単に変異します。

しかしながら、アルコールなどで簡単に分解もします。

ウィルスの大きさは細胞と比較すれば以下の様な図のイメージになります。

私たちは生物を以下の様に考えて来ました。

先ずは動物と植物。


次に、原生生物を加えました。

代表的な原生生物と言えば、例えば昆布やカビやアメーバ等々・・・。


その次に、菌を発見。


 今では、以下の様に考えられていて高校生以降では、このようにして認知しています。


 ウィルスが発見されるまでには、電子顕微鏡の発明まで待たなくてはなりませんでした。

ばい菌より小さくて、生物ではないのがウィルス。

生物は色々な試練を乗り越えて、地球で生きています。

中でもヒトは、生物の持つ進化に基づいているのかいないのか、脳細胞が自然を積極的に応用したり、肉眼では見えないモノを観たりして、ヒトの手で進化に携わろうともしています。

ヒトはDNA・RNAの存在を知って、その操作方法も研究して人の手によってウィルスとも新たな付き合い方を模索して、進化しようとしている。

というのが、まさに今なのかもしれません。

2020年7月11日土曜日

Land 土地活用 歴史 チューリップ

 

 

バブル時代真っ最中な頃、欧州へ旅行された方々なら、EU以前のヨーロッパの西欧旅行を楽しめたのではないでしょうか・・・?

 

 

その国々で紙幣は異なって、ポンドもあればフランもあって、ギリシャならドラクマで、イタリアならリラ・・・。

 

 

今ではユーロで統一されて、悲喜こもごもなヨーロッパな感じもします。

 

 

欧州へ旅をすれば、美術館巡りや教会へも伺ったりして、石で組積された歴史的建造物をどの国ででも見受けられて、日本では考えられないくらいに厚い壁や石畳にも異国情緒を感じさせてくれたりします。

 

 

当時のイギリスには、まだ木像のエスカレーターも残っていて、ゴロゴロと大きな音をたてて不思議なアンティークのイメージも感じたり、タクシーのオースチンにも補助いすが木製だったのを記憶しています。

 

 

あの頃に比べると、経済は益々世界を席巻して、旅行を楽しむという中にもあの頃にあったワクワク感とか、異国情緒な感じが希薄になったのではないかという気にもなったりします。

 

 

西欧にはどこに行っても教会があって、日本の神社仏閣以上にランドマークにもなっていて結構、幅を利かせている印象です。

 

 

結婚式は教会で挙げるというイメージが、強烈に、日本人ならついつい勝手に、想像したりもしたものです。

 

 

でも実際は、ことオランダに限れば、結婚式は市庁舎で上げるのだそうです。

 

 

教会ではなくて、市庁舎で挙げる事が多いのだそうです。

 

 

オランダの市長は選挙で任命されるのではなくて、国から任命されるそうです。

 

 

市民の結婚式には必ず出席して、市長も一緒に祝うのだとか・・・。

 

 

これは、司馬遼太郎の街道を行くで放映されていたお話です。

 

 

オランダへ行けば、国立美術館に訪れる機会があるでしょう。

 

 

ソコにはレンブラントの夜警が展示されていて、その本物を肉眼で見られることに感激した事を覚えています。

 

 

西欧の美術館では、歴史的な絵画が数多く展示されていて、特にイタリアやイギリス、フランスではキリスト教に関する絵画をかなり多く鑑賞する事になります。

 

 

近世になって、日本の浮世絵や木版画が欧州に渡って、ジャポニズムが欧州の画家たちにセンセーショナルなエポックになって、絵画に求められていた意味合いに、新たな美が添えられるようになって、印象派と呼ばれる様な、絵画の新たな可能性が生まれたとも言われたことは、日本でもお勉強で学ばされたとも思います。

 

 

日本の私たち自身、浮世絵や木版画を肉眼で鑑賞する機会は早々にはない様な気もしますが、実際に北斎や広重、写楽を鑑賞すれば、写真やTVではわからなかった、ダイナミックな印象を与えてくれたものでした。

 

 

近世美術館では、ピカソやダリ以降の新たな絵画も誕生して、それ以前に誕生していた絵画と一緒に展示されて少々分かりにくいのですが西欧では絵画とは先ず、キリストに関わる、神に関わる作品が圧倒的だった。

 

 

逆に言えば、神に関する出来事を絵画で表現していた。

 

 

それが欧州の美術館で受ける大きな印象の一つです。

 

 

しかしながら、オランダでは先に述べた、レンブラントの夜警のような市民を描いた作品が展示されています。

 

 

司馬遼太郎の街道を行くでは、その件に言及されていて国土とは神が与えたもうた恵みだというのがほとんどの国での思いなのですが、ことオランダでは正に民衆によって培われた国土だったという事です。

 

 

オランダは海抜より低い国土が、ある事でも有名です。

 

 

オランダの人々は民衆の力で国土を開発して、国家を維持して来ました。

 

 

この国の道は海外から石を輸入して、専門の職人の手によって道路が舗装されて来た。

 

 

国土を守る堰堤も石の組積みで拡張されて来た。

 

 

コンクリートではなくて石で国土が守られて来た。

 

 

この事は、漁業や農業などの食うための産業には多大な貢献をしてくれて、この国の自然を担保してきたという事です。

 

 

オランダの石の専門家なら、石の顔を見ただけでどこから仕入れられた石かもわかる程、その関わり合いが深いのだそうです。

 

 

オランダに限って、国土は民衆によって培われた恵みだった。

 

 

民衆の力は絵画にも波及して、民衆が割り勘で絵画を作成した。

 

 

一人一人の国民が割り勘で、レンブラントの夜警を造ったワケです。

 

 

オランダの日本人小学校は年間1ギルダーの賃貸料でその土地を小学校として、活用しているとの事でした。

 

 

当時の日本は国土を投機の手段にしていた。

 

 

司馬遼太郎は、その事実を憂いて程なく他界されました。

 

 

オランダは東インド会社で国力を増大させた時期が、あります。

 

 

当時も王権によるものではなくて、民衆の力で会社を設立して国力を増強させてきた。

 

 

一方でチューリップを投機の材料にして、バブルを経験して自虐的な絵画も残しています。

 

 

日本では古来よりご先祖様の土地に縛り付けられて、悲喜こもごも味合わされる現実があります。

 

 

国土と国民は、どのように相対するべきなのでしょう。

 

 

災害の少なくないこの国。

 

 

海外からの圧力も少なくないこの国。

 

 

国民の命も財産も、国土ありきで国家は形成されている。

 

 

縄文時代には調子のよかった頃もあったから、一万年以上も続いた・・・?

 

 

かつてもこの日記で書かせてもらった、農耕文化を取り入れて、均質化を好むこの国の人々の性格が否応なく稲作の文化を取り入れて、飢饉を経験してしまった北国の事件・歴史。

 

 

国土が神より与えたもうた恵みのままだと、人は神に甘えて土地利用を間違えたりするのでしょうか・・・?

 

 

オランダの国土を一時、羨ましく思ったりしてしまいそうです。

 

 

でも実際は、民衆の力を注がないと生きて行けない国土だった。

 

 

本来の民主主義とはオランダの風車に表現されていたのかもしれません。

 

2020年7月10日金曜日

和算 関孝和 量子コンピューター




この度、日本のスーパーコンピュータがまたまた最速の演算能力を樹立したとのニュースがありました。


それまでは、米国と中国の独壇場だったのが、久しぶりに日本が日の目を見たそうです。


コンピュータの進歩は、もはや世界の経済や科学、軍事技術の根幹の一つを為す要因として、重要な意味を持つ技術になりました。


このスーパーコンピュータが量子で作動する様になれば、今まで以上の演算能力が実現化されて、素数を材料にした暗号は瞬く間に解読されてしまうそうです。


今のコンピュータでは、長い時間をかけて検索しないと暗号は解読できなかったのが、瞬く間に解読してしまうそうです。


なので、量子コンピュータでも解読できない量子の暗号が、必要になるという事です。


なぜ、量子にはそれが出来るのか?


それは量子のもつれと重ね合わせという性質を活用して、演算も早くなるという事です。


重ね合わせる事が出来れば、並列での計算が同時に可能で、量子のもつれを確実に操作できる様になれば、光速を超える速さで情報を転送できるという原理で、量子コンピュータは、今までのコンピュータを古典化してしまうという事です。


計算が早いという事は、暗号の解読も早くなる。


膨大な情報を処理できる。


そんなこんなで圧倒的な速さが実現すると、世界はどうなるのでしょう。


例えばSFのTV番組で有名なスタートレックでの転送が実現すれば、旅行中という移動時間がなくなります。


引っ越しも秒単位で終了。


建設や土木工事も驚くような速さで、竣工を迎える。


地球の自転や公転は今まで通りで、人々の情報処理や生産性の時短化だけが、以前よりも早くなる。



量子論とは、単純にイメージすれば、その様な奇想天外な発想を思い浮かべてしまいますが実際には、線形代数を理解していないと、その本質を理解するのはなかなか難しいのだそうです。


その昔、江戸の和算学者、関孝和は既に線形代数の行列式の理論を把握していたそうです。


当時はアラビア数字ではなかっただろうから、その表現方法はどうしていたのでしょう・・・?


素朴な疑問は子どもの頃から未だ解消されていません。


変数や係数の識別とか、色々な数学でのお約束事は、当時では今とは全く違った方法で、彼らは和算という学問を発達させたのでしょう。


彼らは微分の発想も心得ていたとも言われています。



実は当時から今なお日本の数学的センスは、世界的にもトップクラスなのでそうです。


数字や数式は物理や化学の文法の様なモノなので、最先端の科学というのは先ず、数学ありきなところもある様な気もします。


客観的な証明や数値化が出来てこそ科学という面も、無きにしも非ずだとも思います。


明快な解、真理、共通認識の出来る回答を約束してくれているのが、数・数値の学問という発想です。


ニュートンもアインシュタインも数学的な文法を使用せずには、万有引力も相対論も表現できなかったでしょう。


量子力学は、科学の幹の様な数学にも新たな問題を投げかけているのでしょうか・・・?


理数系のそんなお話は、こんな事を考えて行くと、不思議な世界を感じさせてくれます。


ちなみにABC予想に言及した望月教授の論文を理解できる人は、世界に数人か数十人しかいないそうです。

2020年7月5日日曜日

梅雨 晴れ間 タコ釣り

今日は梅雨の晴れ間。


近くの公園へ珍しく散歩へ・・・。


道中、ひまわりの花がうだる暑さの中咲いていました。



水路に水が張られていました。


 以前は田んぼらしい敷地にここから水が流れて湿地が設えられていました。


 その水路で親子連れのお二人が、野外活動中。 お忙しい中、声をかけさせていただきますと、可愛らしいドジョウやオタマジャクシが大量の模様。



昔を思い出す様な光景。 息子さんは水路に網を入れて、水中生物の観察に熱中。


 近くの川から流れている水路から、ドジョウやオタマジャクシ、ザリガニが流れ込んでいる様です。


杜若450×417.jpg
シオカラトンボ450×337.jpg


湿地にはまだ、カキツバタが咲き残っていました。


 シオカラトンボや麦わらも飛び交っていました。 都会の郊外にもまだまだ自然は残っている様です。


紫陽花450×337.jpg


アジサイも青々と茂って、正しく梅雨真っ最中。


 人影はそんなに多くはありませんでしたが、河川敷のグラウンドでは学生さんが、クラブ活動を始めていたようです。



 本来ならこのような一日なら、船に乗ってタコでも釣りたいような一日でした。


船タコ釣り450×337.JPG


船に乗って沖に出れば立派なタコがポコポコ釣れます。


タコ船釣り450×336.JPG


タコ釣り明石01-450×331.JPG


仕掛けは、テンヤかタコエギで・・・。


タコテンヤ仕掛450×331.JPG
テンヤ仕掛け



タコエギ450×325.JPG
タコエギ仕掛け仕掛け
明石タコ450×314.jpg


海底をゴソゴソ仕掛けを浮かさない様に引きずり、タコが乗るのを待ちます。 


たくさん釣れても、冷凍保存が効くので当分の間は美味しいタコにありつけるというワケです。 


自前で釣れたタコなら、生からタコ飯が作れるので、赤飯の様に鮮やかな美味しい、この季節ならではのレシピが味わえます。 


ゴマ塩と大葉を刻んで、タウリンタップリ夏バテ知らずのタコはこの時期の海の恵みです。

2020年7月4日土曜日

ウメイロ 船釣り

海の沖へ、船に乗って魚釣り。


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この時期から、南紀の沖ではウメイロが釣れます。


南方系の魚です。


アオダイの仲間。


波止や近郊で釣れるタカベに似て非なる魚。


タカベ㏄500×375.jpg



タカベは沿岸の表層で釣れる美味しい魚です。


一方ウメイロは沖の比較的中層、水深30mより深い処で、南紀では釣れます。


ウメイロは、タカベの様に群れを成して、釣れる時にはイッパイ釣れるという釣れ方ではなくて、たまたま仕掛けにたどり着いた獲物だけが運よく針掛かりしてくれるイメージの釣りになります。


その引きはタカベの様に軽快ではなくて、小ぶりな割には結構な引きを味合わせてくれます。


そんなに大きくはならないけれど、身に厚みがあるので刺身でも、味わえる調理しやすい獲物です。


3~4日程、熟成させるとこの魚の美味しさが堪能できます。


ウメイロは味わった事のないのなら、みそ汁の出汁にして味わってみて欲しい魚です。


みそ汁の出汁と言えば、カツオや削り節、ひと昔前なら、煮干しのイメージです。


このウメイロで出したみそ汁の出汁は、それ等とは全く違う、上品で濃厚、えも言われぬ味わい、絶品です。


魚好きなら、一口目でその美味しさには魅了されるでしょう。


南方系の比較的小ぶりな、しかも背中が鮮やかな熱帯魚風の魚なので、知らない人からすれば、食い気を誘う様な高級魚には見えない魚です。


でも実際は、漁獲量もそれほど多い魚でもなくて、市場でお目にかかる事もそうは多くはない魚で高級魚です。


モチロン養殖されているという話も聞いたことはありません。


この魚の最もおいしい食し方は、やはり自分で釣って、食すというのが最善の魚という事になります。


ウメイロ500×365.jpg



その身は刺身や、煮つけ、焼いても美味です。


頭部や骨は絶対に捨てないで、必ずみそ汁の出汁にしています。


それがのこの魚の最も顕著な美味しさを、実感できるレシピだと言えるからなのです。


この季節の魚料理は、例えばウナギなら肝吸い、アユなら塩焼き、キジハタの夏の鍋には臓物をきれいに洗って出汁にしたりして、魚の捨てる部分がほとんどないくらい、その美味しさが味わえる時期なのかもしれません。


夏に向かう頃の魚は、美味しそうなイメージが無いような気がしますが、実はそうでもないのです。


夏の釣りと言えば、軟体系のタコやイカも釣れだすので、釣りの季節としては結構楽しめる季節ではあります。


ウメイロの船釣りでは、仕掛けはテンビンカゴフカセ釣りで、電動リールを使用します。


ウメイロ以外にも色々な美味しい魚が、釣れます。


行きつけの船長はPE4号を勧めてくれます。


竿はムーチングで100号あたり。


オモリは60~70号で楽しめます。


仕掛けは、ハリス5号でイサキ針(シルバー)が良く釣れます。


(ウメイロ)フカセ釣り仕掛500×463.jpg

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2020年7月1日水曜日

実践 幸福論

幸せを実感する日々を送る一つの実践方法に、セロトニンの活躍に期待するという考え方があります。


セロトニンは脳の覚醒、気分や心の安定に寄与してくれる神経伝達物質だと言われています。


セロトニンに活躍してもらうためには、・・・


・日光浴をする

・リズム運動をする → 散歩・深呼吸・ガムをかむ・動く

・食事でトリプトファンを摂取する。 → 肉・大豆・乳製品を摂取する。


・・・が効果的だと言われています。



さて、自分の性格を私たちは外的・内的に今までの経験や周りの反応で、自分なりに決めつけているところがあります。


その中でも気になるのが、性格についてあまりにも否定的になったりして、自己評価を低くしている場合が考えられます。


反応が敏感すぎたり、鈍感すぎたりで、そのことが情けなく感じてしまったり・・・。


この気持ちを克服して、心地よい日々を獲得するための一つの方法とし、捨てて諦めるという選択があります。


性格に悩むことを諦めて、クヨクヨしない。


世の中、同じ悩みを抱えている人がいるでしょう。


他の誰かの同じような悩みを抱えている人たちも、悩んで生きているかもしれません。


でも、その悩みに気を留める第三者は自分が思っている程あなたの身の回りには、多くはいない。


捨てる事、諦める事も時には有効な手立てになるという一例でしょう。


さて、私たちが幸福を実感する時の事を研究された先生、前野 隆司教授のお話が面白かったのでご紹介です。


先生によれば、・・・・


・自己実現と成長

・繋がりと感謝

・前向きと楽観

・独立とマイペース


の4つの因子が幸福に感じる事に影響を及ぼしているということです。


その事を考える時、


・地位や財産に目を向けて幸福を追求するタイプ ・それらにこだわらず、穏やかで少々の不便も気にせずに幸福を追求するタイプ


といった風に、幸福への発想にも色々あって、幸福への個体差も多岐にわたり、感じ方・生き方に多様性がある事を講義されていました。



幸福感とは、チャレンジできる人生、心地よい時間、想像できる豊かな心に拠り所を追求して、ポジティブに未来に向かう事が出来れば幸せなのかもしれません。


逆に言えば、鬱になるくらいのネガティブな感情を不幸な状態だと言えるのかもしれません。


問題や悩みを克服する、行動できる事も幸せに向かって生活している真っ最中には中々、落ち着いて思ったり、考えたりできない事もあるでしょう。


その時、疲れた時も、冷静になって沈思黙考。


心のベクトルをポジティブに向けて、先ずは感情・情緒を無理やりにでも、自分の望む幸福に向かって想像してニヤッと心の中で笑みをこぼしつつ、瞑想とか考えたり意識し続けていれば、無意識もそれに呼応して幸福に向かって歩き出す。


そのプロセスが、幸福なのかもしれません。


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