ラベル 徒然 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 徒然 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年7月22日水曜日

数学 美

ウィキペディア参照


私たちが"数字"を意識するのは、経済とか時間、量程度で、何時も(日常)はその程度のモノだと思います。


後は小学生の後半でせいぜいピタゴラスの定理を教えられて、おぼろげながら三角形の不思議を思い出す程度なのかもしれません。


義務教育を終えるまで数字のお勉強では、私たちは解析学・代数学・幾何学のある事を教わりました。


それらはみんな、自分にとって苦手な数字の世界でした。


解析とは、巨視的・微視的なイメージ、代数とは数字と四則演算の不思議、幾何学は図形や次元との数字の関係のイメージ・・・?という大雑把なイメージです。


という事でその後の人生、何かを比べる時くらいにしか数字は、私たちの生活では登場しない雰囲気です・・・?


ところが数字には色々な秘密が隠されていた・・・。


数字と記号を用いれば、色々な事がイメージできる。


その中には、芸術に通じる美しさも存在している。


数式には、美すら存在しているという事です。


その事については、数学に今までの苦手さを忘れて、判らぬまでもある程度チョッピリ頑張ってみれば、ホウホ、ウナルホドなどと数字・数式の美しさの一端に、感動できるかもしれません。


この感動が、鮮明な方たちなほどきっと、数学に愛された人々なのでしょう。


その様な先生から良く聴かされるお話が、オイラーの等式でしょう。


オイラーの等式.PNG

eはネイピア数。この数字が不思議なところは、は微分しても

が永遠に続きます。


iは虚数。i×i=-1。


πは円周率。


これらはそれぞれ、解析学・代数学・幾何学で登場する数字のお話で、それ等が0と1で数式になる。


無理数たちがこの様な式になった時、0と1で繋がってしまう・・・。


これが数式の美しさを表現している。


数字を愛した人々はソコに美を感じます。


オイラーは息をするように計算していたそうです。


ガウスはこの公式を観て感動できない人には数学のセンスは、哀しいかな無いでしょうとも言われたそうです。


数学にはホトホト縁がなかった我人生(>_<)世の中には、想像も出来ない様な発想で、驚く程の世の中の秘密を暴露する人々が、名を残してきました。


今、ABC予想では日本人の数学者が、しのぎを削って世界の注目を浴びているそうです。

2020年6月27日土曜日

海外ランキングニュース

世界国旗1480×1073.jpg


お隣の国の朝鮮日報日本語版で、平和な国ランキングのニュースが掲載されていました。



日本は、



・アイスランド



・ニュージーランド



・ポルトガル



・オーストリア



・デンマーク・カナダ



・シンガポール



・チェコ



に次いで9位なのだそうです。



平和イメージ533×408.png



世界各国での幸せの度合いでは、日本は54位。



世界各国の中で安全な都市は、東京が1位で、大阪が3位。



住みやすい国では日本は、10位なのだそうです。



何が基準でこうなったのかは不明なのですがこれらの記事にフト、目が止まりました。



昭和から平成、令和になってこの国の住みやすさや住みにくさも、この国を住処にしている皆様には、賛否両論ある事でしょう。



昭和の中頃までは高度経済成長で自然を犠牲にして、公害問題なども色々物議を醸しだしていましたが、今ではその様なニュースもめっきり減って、過疎化の里山等々の放ったらかしの自然で、山中の獣と人里の境界があいまいになってのニュースの方が、目に留まるようになりました。



公害800×798.png



都市近郊では、既に観られなくなった鳥や昆虫などの生物は、公害の時代(昭和時代)の方が、まだまだ見受けられていた様な気がします。



令和の世になって、都市近郊のインフラがこれから益々進んで、もし自然との共生が出来る様になったら、小川の中のメダカの学校や、夕焼け小焼けの赤とんぼや、紫陽花にカタツムリとかアマガエルが都市近郊ででも伺える様にもなって来て、住みやすい国のランキングが少しでもアップするかもしれません。



遠い昔、鉄の文化が日本にもたらされて製鉄の技術が発達、お隣の大陸では鉄を製造するための燃料が枯渇して、逆に日本から輸入したという歴史のお勉強をした事を覚えています。


鍛冶800掛けr722.png



日本ではいくら伐採しても製鉄できる木炭が採れる国だった。



他方、隣国の森林は、一度伐採したら再び復活させるには、もう不可能に近いくらいの自然破壊になってしまって、いくら鉄鉱石が産出されても、製鉄できる燃料が確保できず当時から既に、日本から鉄を輸入するようになってしまった。



殷(商)、秦の頃は中原の地にも森や林があって、象も住んでいたそうです。



黄砂も、今ほど酷くはなかった。



その土地に長い歴史の間で人口密度が集中してきて、喰えるものは何でも喰えないと生き延びる事も、難しかったのかもしれません。



多少の陶器を作れる環境はあったモノの、鉄器を産業革命が興るほど生産できなかったのが、かの大陸の自然が持っていた潜在能力だったのかもしれません。



この島国の場合、弥生時代に稲作文化を取り入れて、つまり農耕文化を取り入れて縄文時代には豊かな地方だった所が、米を中心にした文化に傾倒し過ぎた(?)あまり、豊かさを失った地方もありました。



当時の青森地方は、稲作には決して適さない地方だったので、縄文時代の漁撈や森林からの恵みを半ば放棄する様に、稲作にこだわり過ぎたのが原因で一時、そこで暮らしていた住民は餓死者すら、発生させてしまった時代がありました。



そのくだりのお話が、司馬遼太郎の街道を行くで紹介されていて、ショッキングだった事を覚えています。



この国では農耕文化をほぼ全面的に取り入れてしまったのですが、何もかもが上手く行っていたわけでもなかった様です。



一方神々の不在(?)、あるいは自然の潜在的エネルギーに比較的に乏しいのかもしれない(?)隣の大陸では、古来よりジェノサイドが起こったり、カニバリズムなどのおどろおどろしい哀しい歴史も残っています。



活火山と地震のこの島国と呼ばれている小さな地では、鮮明な四季もあって、稲作に依存しなくても1万年以上にわたって、平和裏な生活をしていた時代がありました。



そんなイメージを、ツイツイ偏差的(?)に想像してしまったりしてしまいます。



この島国では神々が不在の時期はほとんど無くて、自然の再生力は凄まじいくらいに活性する力が、今でもあります。



資源の少ない国などと言われたりしていますが、果たしてそうなのでしょうか・・・?


幸福な国1667×1667.png


鮮やかな季節が廻り、花鳥風月、清冽で豊かな自然の恵みは、放っておいても八百万(やおよろず)の神々が、この島国の住人たちに大いなる豊かさをもたらしてくれて、古来よりそんな神々に私たちは、畏敬の念をもって接して、活かされて来た感謝と喜びを表現して来ました。



狂信的ともいえる原理主義すら私たちの神々は、列島の住民たちに強要はしない。



そしてこの国の神々は今でも、自然の恵みを与え続けてくれています。



この国では私たちが、快適な自然を蘇らせる適切なインフラさへ進めて行けば、後は神々が恵みを与えてくれる、そんな結構生活しやすい、小さな島国なのかもしれません。



なので他の厳しそうな地に比べれば、この島国は優しい神々が、少なくとも他の地よりは、暮らしやすい環境を私たちに提供してくれている様に思ったりします。



感謝の念を忘れずにシッカリと環境インフラを整備して、後は勝手に自然の恵みを与えてくれるこのような場はこの地球上で、決して多くはないのかもしれません。



過酷な自然で生活を強要される住民の皆様にも、優しい人々もいれば、厳しい人々もいる。



そんな事を考えているとき、神々の不在な地での住民には、六道の中の修羅道より厳しいランキングが、当てはめられているのでしょうか(?)などと思ったりします。



このランキングニュースには、そんな哀しい事実も含まれているのかもしれません。

2020年6月10日水曜日

タンポポの黄色と緑

春を感じる風景のイメージは、菜の花の緑と黄色です。


淡い緑の葉に、黄色い花。


そして、暖かい風と揚げ雲雀の声。


雲雀550×412.png



河川敷を歩いていると、そんな風景が心地よいと実感します。


雲雀の鳴き声には、勢いを感じます。


生きる喜びを唱っている様です。


彼らはヒナのためにエサを探しに巣を離れて飛び回り、エサを集め終わっても直接巣に戻るのではなく、近くに着地して姿を隠して巣に戻って、巣の在処を隠しているそうです。


今の世の中、散歩に出て近郊の淡い緑に黄色い花の風景を拝める時、何か穏やかな気分にさせてくれます。


中でも河川敷の菜の花が、"いの一番" に思い出されますが、それ以外ではこの彩の風景と言えば、タンポポが身近に思い起こされます。


外出して、ソコに自生していて当たり前な風景。


土のある場所なら、どこででも逢える気持ちのする景色です。


タンポポは普段特に気に留めない限りは、本当に気にもならない雑草の様に、私たちの日常できわめて普遍的な存在に感じます。


どこででも見られる様な風景。


たんぽぽ512×384.jpg



でも逆に考えれば、気づかぬうちにタンポポが徐々にみられる機会が減少しくると、そこには自然が徐々に無くなって行っている、日々の生活の場から自然が遠ざかっているという感じもしたりします。


古き良き昔を思い出す時、脳裏に浮かぶのは春のレンゲ畑や、カラスノエンドウ、菜の花畑やタンポポにテントウムシとか、モンシロチョウ、あぜ道に咲いているスミレや曼珠沙華の鮮やかな景色・・・。


当時はあまりにも当たり前な景色で、気分は今より上々だった。


歳を重ねれば重ねる程、当時の風景を思い出すと、幸せだったなどと・・・。


レンゲ畑550×415.png



昔だから護岸工事なんかされていない、草々の繁みに囲まれて水音がかすかに聞こえる小さな流れの用水路。


そこに住んでいるメダカやカエル、ザリガニとか、時にはヘビやトカゲや亀もいたりして、子どもにはアメージングな経験・・・。


浅い水面と川底の丸い石ころや水草、水溜まりには色々な生物がすんでいて、夏になればホタルも光るし、トンボも飛び回り、季節感を肌身に感じさせてくれた。

林や空き地は宅地に整備されて、砂利道はアスファルトで舗装されて、路肩の水路は暗渠で地下に埋設され、木陰や打ち水もされなくなった道路は砂ぼこりがなくなったけれども、殺風景。


蚊や蠅も少なくはなったけれど、カエルの鳴き声やアマガエルさへ何時しか庭先から消えてしまいました。


ヒガンバナ550×412.png



それでもたまの息抜き、散歩で近所の自然をめでる時、もっとも気を静めてくれる風景の一つに、タンポポの黄色い花と緑が何気なく心を鎮静させてくれて、心穏やかに癒されたりします。


今では最も身近な自然、タンポポの自生を厭う人は、先ずいないでしょう。

タンポポには在来種と西洋タンポポがあるのは、結構有名な話ですが、実際には色々な種類があって、タンポポを研究されている団体もあるそうです。


野草としても古来より親しまれていて、ノンカフェインで胃腸のコンディションに貢献しくれるお茶にもなります。


しかもこれが、雑草並みの繁殖力なのは本当はありがたい事です。


レンゲのピンク イヌノフグリの青 タンポポの黄色 紫陽花の青紫などなどは、幼い子どもには結構記憶に残る風景でした。


イヌノフグリ550×412.png



今でもチョットした郊外で小さな里山なら、ヒガンバナの鮮やかな赤や小川のフナ、赤とんぼやタマムシ、水カマキリやゲンゴロウやヒキガエルやウシガエルとの遭遇もそんなに珍しい光景ではないでしょう。


昔なら、ドジョウや小鮒を捕まえて、ナマズやウナギが獲れたら父親には褒められ、母親には苦笑された記憶もあったりします。


里山の小川550×825.png



そう言えば、アジサイにカタツムリの光景がめっきり少なくなってきたような気もします。


それでも尚、タンポポは意外と頑張ってくれている様な気がします。


タンポポの色合い・景色は心穏やかになって、時に自分も活かされているという実感を呼び起こさせてくれたりして、チョットした幸福感を思い出させてくれたりもします。


またある時には、不安やネガティブな雰囲気を払しょくしてくれて、人間真っ裸で産まれ出て、真っ裸で自然に帰る真理を幾度も思い出させてくれて、世間の騒々しい波からコーヒーブレイクさせてくれたりもします。


行き詰まりやどん詰まりを感じて、外出した時上を向くのも結構です。


でもあえて足元を伺えば、タンポポの自生が何言うという事もなく、語り掛けているような気にさせられたりします。


天上天下唯我独尊


うぬぼれじゃなくて、人生一回コッキリ、コレっきりという印象です。

2020年6月7日日曜日

北海道 大沼 マガモ ヘラブナ

北海道の大沼にマガモ親子の記事。


20200606_ujqdrkxj5dfyjzzuckwh.jpg
母鳥に寄り添いひな9羽 大沼公園で : 函館新聞

渡り鳥の中でもカモ親子には、元気でスクスク育って欲しいという気持ちが、ひときわおこったりします。


そう思ってしまうのは、水かきで歩くヨチヨチ姿とくちばしに、愛嬌を感じてしまうからかもしれません。


鳥のヒナはどんな鳥でも愛らしいモノだけど、カモ系のヒナの愛らしさにはその様な事情があるからなのか、特に愛らしい気持ちになります。


しかも彼らは草食系の印象があるから、猛禽類に狙われる立場なので、一層守れるものなら守ってあげたい気持ちにもなります。


他方、カモは鴨。


その美食には人様もその恩恵に授かっているワケで、上述の様な画像を見てしまうと鴨南蛮とかカモ鍋の様な美味しい美食にも食い気が、萎えてしまう事もあったりしそうです。


渡り鳥は否、鳥類は捕獲を禁じられて一般人なら勝手に捕まえて、飼育する事も適わなくなりました。


なので鳥を飼うのなら、ペットショップを通して愛玩するしか術は、ありません。

あるいは夜店で雄鶏を買って育てるか・・・。


ごくマレに、有精卵を温めて牝鶏やウズラが孵った話を聞いたりします。


昨今では少なくなった猟師が、一部の場所と期間で猟で取れたりした野生の鳥の肉を味わった事のある方々なら、その味覚に忘れられない思いをした事も少なくないでしょう。


沢山飛んで来てくれたなら、鹿やイノシシのように沢山育ってくれたのならという、一抹のあさましい食気を覚えてしまうのは何も私だけではないでしょう(^^ゞ


子ガモがカラスの餌食になるより、一羽でも多く渡って欲しいという気持ちはカラスには申し訳ないけれど、美食家ならそれが人情というモノ・・・?


そのカラスでさへ、自然の中でスクスクと育ったカラスなら絶品の味なのだとか・・・?


さすがにコウモリを食そうとまでには考えが及びませんが、私たち "人" というのは結構、悪食なモノなのでしょう。


肉食は人類の知能に大きな貢献をしたそうです。


鶏肉や獣の肉、魚に至るまで生物を食して生物は成長する。


中には植物系のみを食する生物もいるけれど、海陸の別を問わず雑食性なのがほとんどの生物。


大雑把に言ってしまえばそんなイメージ。


グレやアイゴ、ブダイも一応草食性の魚だと言われているけれど、オキアミで釣れます。


さて、北海道の大沼と言えば、巨大なヘラブナが釣れるというヘラブナ釣り師の間では有名な釣り池。


ヘラブナは元々、琵琶湖水系で育てられたフナを釣るというレジャーのために交配して人工的につくられた魚。


犬や猫、豚や牛や鶏の様に、人のワガママのために産まれ出た魚。


彼らに対する幸福論はこの際置いておいて、母なる惑星では試行錯誤で多くの種が栄えたり絶滅したり・・・。


種の栄枯盛衰は自然選択というけれども、その中に人類の恣意的な行いも神様はお見通しで、もしかしたらその中に含まれているのかもしれません・・・?


子育てをする生物は知能が高いのか、それとも始めからそういう風に組み込まれているのか・・・。


魚類や昆虫の中にも一定期間、卵を保護して種の保存を図っているモノもいる事は判っています。


哺乳類と鳥類だけが、子育てのためにエサを運んでくる時期があるのは、何でなんでしょう・・・?


とはいえこれからの季節、大沼で大きなヘラブナを狙いながら、子ガモを率いるマガモの


姿を観られるのも、悪い気はしません。


釣り好きな人なら、そんな場面も悪くはないのでは・・・?



望遠鏡 双眼鏡 小型 超軽量 釣り用 防水 生活防水 かわいい おしゃれ 人気 望遠鏡 メガネ 眼鏡 調光 眼精疲労予防 釣り用 望遠鏡 - PATIO WATCHER
望遠鏡 双眼鏡 小型 超軽量 釣り用 防水 生活防水 かわいい おしゃれ 人気 望遠鏡 メガネ 眼鏡 調光 眼精疲労予防 釣り用 望遠鏡 - PATIO WATCHER

2020年6月2日火曜日

6月2日 今日は何の日


参考:NHK大河「麒麟がくる」メインビジュアルが解禁


6月2日は、本能寺の変があって、横浜カレーの記念日。


本能寺の変は、織田信長に謀反を起こした明智光秀という日本史での史実。


今年の大河が、"麒麟がくる" で、明智光秀が主人公。


今までの光秀のイメージは、出世させてくれた信長へのご謀反という印象がほとんど・・・・。


けれども経年の史実の調査で、色々と以前は判らなかった事が明るみに出て来て、光秀の詳細も浮き彫りにされてきて、もちろん信長の詳細も同時に色々分かってきて、フィクションではあるけれどもそれらの若干の史実に基づいて、今回の大河ドラマも面白おかしく視聴できるイメージです。


チョッピリ残念なのは、お派手な鮮やか過ぎるショッキングな彩りが綺麗だけれども、不自然なイメージ・・・?


とはいえ歴史バラエティーとして、水戸黄門の全国での活躍を愉しむ様に楽しめます。


光秀は福知山周辺を統一する時に、かなりノイローゼ気味になってお上の指示通り "布武" して行ったそうです。




裏切りや、約定の破棄を信長に強いられて、自らの立場を無視されるかの様な上からの指示に、従わざるを得なくなって本心と作業遂行に反故をきたして、ノイローゼ状態になったという話です。


光秀は自分の出世には、信長に感謝していた。


他方で、あまりに厳しすぎる使命については、精神すらズタズタにされていた。


信長は、アクティブで積極的な反面、重臣たちへの信頼やコンセンサスを当時の下剋上的な状況下では、上手くパイプを繋げる事が出来なかった・・・?


数々の自分に対する恨み言が配下に堆積していた事も、薄々知っていたのかもしれません。


しかし、"天下布武" を掲げた以上、あの頃の情勢から死を賭して貫徹するしかなかった・・・?


信玄や謙信、道三、義元等々の戦国武将にはそれぞれの才能や産まれ出た立場もあって、色々な状況・立場ででその頃の世間を生き抜いて、歴史上で彼らのその一部分にスポットライトが当てられて、私たちはそれを聞いて日本の歴史として咀嚼しています。


それにしても戦国時代とは、生き馬の目を抜く荒々しい時代が、想像できます。


日が沈めば今以上に真っ暗闇な世の中だったにも関わらず、情報の伝達の速さも私たちが、想像する以上に早かったのかもしれません。


光秀の謀反には今なお謎が多い事件です。


今では彼の名誉もある程度、回復されつつある感じがします。


龍馬や西郷はヒーローで、尊氏や足利義満などの足利幕府の頃は統治する彼らには、ネガティブなイメージで受け止められがちです。


とはいえ足利幕府時代の文化は、今でも日本文化の根幹を為すくらいに華やかで日本という国らしさが、開花した時期でもあったりします。


ある意味その辺りも、彼らの産んだ副産物として評価できるのなら、清濁併せのんで評価しないといけないのかもしれません。


同様に光秀も、反逆罪で問われ続けて来たアンチヒーローのイメージでしたが時代を経て、変わって来そうです。


家臣に平等で優しく、統治していた領民にも慕われていた。


逆に親類筋でもあった細川家には冷たくあしらわれて同調を期待したモノの、彼らの信・協力は勝ち取れなかった。


信長も光秀も、後の秀吉も短期で権力の座を、失わざるを得なかった・・・。


戦国時代は幕末と共に日本史では、人気な時代です。


話しが少々ずれてしばし考えて見れば、西の隣国大陸での戦国時代にも面白い逸話が残っていて、司馬遷の史記で列伝として伝えられ戦国時代当時の日本の武将たちにも人気がありました。




信玄の兵法好きは、私たちも既知のお話です。


それが通用しなかった謙信は、非常に強かった・・・?


そんなイメージもあったりして、戦国時代は魅力的です。


さて私たちの知らない、史記からの逸話を当時の戦国武将も学問として、知っていたわけです。


個人情報と当時の世相との混同的なお話になりますが、歴史上のお話ってそんなカオスが魅力的なので、今回はご容赦です(>_<)


そんなこんなも鑑みて当時の彼らの活躍には、まだまだ深掘りできそうな史実が、隠されていますネ。


さて、6月2日は光秀の件以外ではカレーの日で有名なのだそうです。


今は無き(?)横濱カレーミュージアムが、日本記念日協会の認定を通して記念日として制定されたそうです。


庶民が制定して庶民が認定した感じのする、ホノボノとしたカレーの日という印象です。


カレーと言えばインドとか、大日本帝国海軍とか、イギリスとか、暑い海上と勇ましい戦いや大砲のイメージもしないでもありません。


普段カレーを喰ってて、その様なイメージは滅多に考える事は、無いけれど・・・・。


カレーは最早日本でも家庭の味の一つ。


うどんや麺類にも、スナックにもカレー味はツキモノ。


ターメリックとピリ辛な感覚はもうカレー風味。


海上ではカレンダー代わりに決められた日にカレーが食事として賄われていたという事で海軍カレーが有名になったという事です。


しかもそのカレーは美味しい。


世の中色々なカレーが楽しめますが、海軍カレーはカレーでも上位表示されるほどに知られている、カレーですネ。


調味商事 よこすか 海軍カレー お試しネイビーブルー レトルトカレー 送料無料 中辛 180g×2食入 1個 買いだめ 備蓄 プチ 贅沢 買い置き テレワーク 金曜日はカレーの日 まとめ買い

2020年5月29日金曜日

コロナウィルス 光 ゲーテ

ゲーテ光500×635.png


やっぱりそうだったんですね。


コロナウィルスは紫外線に弱いことがニュースで報告されていました。


夏に向けてのマスクはしている方も見る方も暑そうな、少々気の毒なような気がします。


こんなに世界中でマスクをした人々が映像で流されるのも、今なら当たり前の感じがするけれど、ヤッパリあんまり好ましくないイメージです。


陽射しに期待してコロナウィルス(COVID)騒動が終息を迎える事を強く願います。


ゲーテじゃないけれど、もっと光を!・・・・?


ゲーテは、光について多くの文献を残したそうです。


あまりにも光に拘わり過ぎて、彼がもう少しこだわりを捨ててくれていたなら、もっと文豪になっていたとまで言われたそうです。


シーリングライト 3灯 ブルックリン インダストリアル リビング用 居間用 ダイニング用 食卓用 寝室 子供部屋 6畳 8畳 おしゃれ 照明 アーム スチールシェード ブラック ホワイト スポットライト 間接照明 天井照明 デザイナーズ モダン ゴールド [GOETHE:ゲーテ](2-2

2020年5月28日木曜日

石器時代 縄文時代 和風クッキー

吉野ヶ里遺跡600×400.jpg



昭和な世代では石器時代と言えば、思い出すのは、フランスの西南部ドルドーニュのラスコー洞窟でした。


小・中・高等学校では、耳にタコが出来るくらいにお勉強して、テストには出ないけれども、知識としては濃厚にインプットされています。


石器時代は日本にもあって、出雲市多伎町砂原で新しい露頭の古地層中から1点の小石片(玉随製剥片)が見つかって、なんと11万年前の石器だったそうです。


バリ旧石器時代じゃないですか。


磨製石器についても最古の例は日本で、3万8千年前から3万5千年前に遡るということです。


昭和世代では考えられない程の、今ではわかってしまった史実。


石器に関しては日本は世界的にみても、結構古い印象です。


11万年前の日本は、大陸とも陸続きだった。


それにしても、日本よりアフリカに近い大陸でもっと沢山古い石器が発見されてもよさそうなモノなのに・・・?


人類の起源はアフリカ大陸だったから・・・。


もしかしたら、この国の地層が平和裏に温存されていたのかもしれません。


地震の多い列島なのに・・・。


この辺りのお話を義務教育で、次代を担う子どもたちにシッカリと授業しているのでしょうか・・?


さて、この国の縄文時代は1万年以上続いたという事です。


火山の大噴火で一時、大災害・飢きんの憂き目に遭った時、住民は移動して人口も安定はしていなかったそうです。


とはいえ1万年の縄文時期。


火山活動と四季がこの国の住人には比較的好条件を提供してくれて、この時代からこの列島は、暮らしやすい場所だった。


例えば海外では、この国ほど飲み水に恵まれているところは、珍しい方です。


清流な河川、森林とは世界でも、そんなに多くはない。


縄文時代では、この島の住民は、栗も菜園で育てていた事も今では、分かって来ています。


農耕を始めるまでは、縄文人は狩猟・採集の民だった。


この地の住人が農耕を始めて今まで、まだ1万年もたっていません。


鉄器の無い時代、大木を石器や火を使って加工して、村落を形成して原始的な共同生活を1万年も続けて暮らしていた。


鉄器が導入されたら、世界的にも切れ味の良い包丁を作り出して、調理の技術も独創的な私たち。


私たちの祖先、縄文時代にはすでに、クッキーが食されていたそうです。




自然な甘みと軽い食感がくせになります 美味 サクっと黒穀 縄文香菓 5個(60g×5)

2020年5月24日日曜日

竹中半兵衛 DaiGo 思考法

ウィキペディア参照図

ネットワークのインフラは、私たちに色々な事を教えてくれる様になりました。



情報の氾濫は、それを見る側・聴く側に取捨選択を余儀なくさせますが、選択の自由が担保されている分少なくとも、昔には戻りたくないと思わせます。



今もって過去にカジリつくのも自己の風化・劣化・老化に繋がる危機感を感じたりします。



情緒(好き嫌い)も大切だけれども、理性で乗り越えなければならない時があるのも、それはいつの世でもあった事でしょう。



さて今やTVやラジオ、新聞からのみの情報だけでは頼りない(?)というイメージすら感じる事があります。



公権とは言えTVやラジオから伺える国や自治体の公告も、国民にバイアスをかけないという保証もないという感じもしたりしたこともあります。



例えば、忖度とか冤罪とか・・・。



見えないところで既得権益者同士の特権の保護とか・・・。



それ等の事が一般の旧メディアにも当てはめられて、彼らからの情報にもバイアス感を感じないではないという気にもなったり・・・。



一方、法律だって完ぺきではないでしょう。



時間に伴う劣化もあるでしょうし、世の中の無常に合わせての改正も必要です。



そんなこと考えて、今回のコロナ騒動は、政に携わる皆様の色合いを色々なメディアが、様々な評価を披露されていて、ネットでもご同様。



世界各国の状況も報告されてきて、我が国は結構奮闘努力の効果があったのか、他国に比較して奇跡的な状況なのだそうです。



習慣的な衛生観念が幸いしているとか、医療機関も比較的充実しているとか、色々な要因を上げられている様です。



そんなこんなの現状を鑑みて、情報の速さや正確さは私たちにも喫緊の問題なのが、切実に体感させられました。



情報は確実に、過去より今の方が圧倒的に多くそして迅速に私たちの耳元まで、届くようになって来ました。



話しは変わって、ユーチューブ。



メンタリストのDaiGoさんの動画を伺ってみて、半兵衛が金華山を数名で落城させた歴史話を思い出したりしました。



若い頃の半兵衛は家臣として、上層部にはあまり高い評価を得られてはいなかったそうです。



その間隙を縫って、城主たちの怠慢(?)を非難する様な挙にでたお話。



その逸話とは全く関係は無いのだけれども、DaiGoさんのお話は本当に面白い内容でした。



映像は軽い感じで、話している事は結構興味深い内容だと思いました。



他方、公権を持った政に携わる皆様の発言の、例えばインタビュー・会見というのは、紆余曲折な解釈をされてはイケナイので、多くの校正を経て、私たちに公告される事になるから、カスミがかかった様な回答という気もしないではありません。



米国の大統領はその辺りを多少無視した公言で、迅速な処置を執り行っている印象を受けたりします。



他方、我が国の皆様の努力は国民にどう映っているのでしょう・・・?



一人一人が色々な情報を日々の生活に役に立たせるためには、聴く耳を持つ私たちの思考法に依存するというお話が、DaiGoさんのお話には込められていたと思い、非常に興味深かったのです。

2020年5月21日木曜日

コロナ支援制度 還暦 年金制度

年金制度800×719.png


シニアの皆様への応援。


還暦でコロナ遭遇の悲劇に見舞われた時、年金 繰り上げ 受給制度もあります。


シニア | 年金 繰り上げ 受給 ビジネス

2020年5月19日火曜日

買取 断捨離 経験談 余話

買取1600×1200.png



大きなモノはスタンドピアノから書籍・洋服・和服に至るまで・・・転売ビジネスが、旧メディアではCMで結構目にします。


自宅にまで無料査定に来てくれて、目の前で査定してくれる世の中になりました。


実際、経験してみるとやはり減価償却の世の中というのが実感できました。


骨董価値というのは、鑑定上では多額な金額が提示されて、大きな価値をイメージしそうですが、現実には買い手がいるかどうかで査定額は決まります。


かなり昔の話。


ダイヤモンドはユダヤ系の皆様が、その価値を維持していると聞いたことがあります。


全てがすべて、彼らがその価値を維持しているとは思えませんが、ダイヤの価値はダイヤの売買をビジネスとして、それにかかわる人々によってコントロールされているというイメージがこびりついています。


西欧のベルギーだったか・・・?


そこで誰かが話していた記憶なのですが、量産されたダイヤが予想を超えて採掘されたら、海中に処分するとかしないとかの噂話の様なお話を聞いたことが・・・?


そう言えば、SF的なお話ですが、白色矮星の中には炭素がダイヤモンドと同じ結晶で存在していて、無数ともいえるその様な星々が存在しているかもしれないと言う事です。


金・ゴールドも地球上では限られた量しかありませんが、巨大な星が生涯を終えて大爆発をして後、また引力で集まって新しい星が生まれて金はその星の中で、蓄えられているそうです。


太陽でも鉄までしか核融合では作る事は出来ないとも・・・。


それよりも思い金を生成するには、かなりの大きな星にならないとダメなのだそうです。


さて、断捨離のための処分には、はっきりいって手数料を支払って処分というのが、大方の事実の様です。


減価償却を避けるためには、トレンドに合致したアクセサリーなら、イミテーションでも買取してくれそうです。


ただし、CMの様な効果が期待出来るケースはマレだという事を覚悟しておいた方が、良いのかもしれません。


さらに、認定書や証明書も保管しておいた方が良いのは言うまでもありません。


鑑定と査定を混同しがちな私たち?


かしこい転売処分は減価償却とトレンドと一緒に相談という事です。



満足価格!アクセサリー買取【バイセル】


最も懇切丁寧な査定をしてくれた印象です。


現地で即決取引成立。


ただし、少々の手間ヒマがかかります。


それもこれも商法を順守しないといけないそうなので、致し方ありません。


買取に後悔はない様に、クーリングオフも詳しく解説してくれました。


気持ちよい断捨離でした。

2020年2月10日月曜日

ヒト 社会 進化




生物は繁栄するために過去、色々な歴史を経て進化して来ました。


中でも哺乳動物では、生き抜くために集団を結成して、社会を形成して、生き抜く方法を選択した動物も誕生しました。


それ以前に昆虫でもたとえば、アリやハチの様なケースなどは、社会や集団を意識させてくれるケースでしょう。


社会にはヒエラルキーが誕生するのが、自然の掟の一つなのかもしれません。女王アリやハチの様に・・・。


あるいはサルや狼などの集団のボスとか・・・。


それはヒトにも見受けられて、今ですらなお迷彩された見えないヒエラルキーが、あるのかもしれません。





昆虫の場合はDNAとか、予め決められた運命があるようなヒエラルキーのイメージですが、動物の場合、個体差でこの世に生まれ出た後、それもその度ごとに集団が、無意識に決めているかの様です。


魚類の場合、成長の途中で雌雄が変わって、個体の大きいモノがオスになって、他のオスになりそうな魚を阻止して自分のハーレムを維持しようとする種類(ブダイ系)がいるそうです。


どうやら自然は、生き残らせるために生物に進化を要求して、なおかつ一部の生物にはそんなヒエラルキー的な構成を強いる様な図が、あるかのようにも想像できそうです。





今問題のコロナウィルスも、より生存時間の永い生物に宿るために、刻々と変異するそうです。


動物に比べて単純な構造という理由で、ドラスティックな変異を遂げるため、ヒトにとっては厄介な存在でもあります。


さて、簡単に言ってしまえばこの階級制度、ヒトにとっては色々な場面で活躍して来ました。


もしかしたら今の人類、ホモサピエンス単体の生存は他の人種をコノ生物の特徴が、そうさせたのかもしれません。


あるいはそうではないのかもしれない・・・。


社会を形成したヒトには、他の動物には与えられていない能力で、自然が与えた階級制度を利用してヒトににだけ、通用するモノを創造したと考える事も出来たりします。





例えばその一つが、神々や唯一神でもありそれは、色分けの手立てにもなり、差別も出来るタグになる・・・という発想。


言葉にも時間を示唆する表現もある一方、上下を表現する方法も編み出しました。


これって生物、本来社会を形成する生物にあるクセなのかもしれません。


それが人間の業になって、個体差を否が応にも意識して、上下関係を作りたい本能に・・・?


逆にその様な現象に抗う気持ちも併せ持って、ヒトはそもそもパラドックスな生活をも強いられているかの様です。


これだけ科学も発達して、哲学的思考も身に付けて、多少なりとも以前より生きやすくもなって、順調に人口も増えてきた。


小さい事から大きい事まで色々と探求してきて、膨大な情報を整理して蓄積してきた私たち。


それでも他方では今なお大きな企業ではこれらを活用して、人類世界を把握したい願望が進行しているかもしれません・・・?


例えばアルゴリズムで変わる世界とか、制度や運営方法の違いで、争いあう社会や国家間でとか・・・。


生存競争で生き抜こうとするのが生物の一面、ソコには何が何でも生き抜こうとする力が作用する、その一つが "欲" なのかもしれません。


善きに付け悪しきに付けこの欲求は、社会に大きな影響を及ぼして来た。


社会が成熟すればするほど、彼我の間で極力気づかぬように、まるで忍び足の忍者の様に、癌性の悪種が蔓延したら大変です。


AIや量子コンピューターによる社会貢献が、健全に営まれるように力なき大多数の人類は希(こいねが)うしかありませんが、生存の決め手である "欲" とは良薬にも毒にもなるモノ。


神の罰が当たらぬように、良識を発揮して欲しいところではあります。

2020年2月7日金曜日

見えない 流れ

釣りから伺える流れ


船釣りが趣味です。


船釣りを始める前に、会社の同僚から磯釣りを教えてもらいました。


その経緯(いきさつ)は魚釣りを覚えて、グレ(メジナ)を釣りたくなったから・・・。


この魚はアングラーの対象魚として、磯釣りをする皆様には格好のターゲットとして有名な魚で実際、釣り味の楽しい魚なのです。


魚は種類によってファイトにも色々と個性があって、それは釣り味の一つとして釣りする人に大きな刺激を与えてくれます。


グレ(メジナ)にはフッキングしたら大きくダイブする習性があって、竿をグイグイ海底へと引っ張り込む動作を示してくれます。


真鯛ならいかにも首を振って、針を外しにかかる情景が、脳内を刺激してくれます。


ガシラ(アラカブ・カサゴ)は針掛かりした一時ピピンと暴れますが、後は硬直したように体を曲げて口を大きくあけて上がって来ます。


ハマチやカツオなら、遊泳力を誇示するかのように縦横に泳ぎ回ってグイグイ引きずり回すような印象でしょう。


クエやマハタなら、重たい石が底でゴソゴソ動いているの様な感じで、ある程度まで浮き上がらせることに成功すれば、その重さだけが感じられる感覚です。


サメはいかにもサメらしい重くて青物ほどではないにしろ泳ぎ回って、白い腹を見せれば後は比較的おとなしくなる様な印象です。


さて、手前事に戻りますが当初は、あるきっかけで海釣りの楽しさを知って、当時は毎週末になると近くの波止まで赴いて、そのまた近くの釣りエサ屋で仕掛けと餌を購入しては豆アジを釣って、自宅に持ち帰ってはカラ揚げにして、三杯酢で楽しんでいたモノです。


その頃の印象は、豆アジ1匹すら自前で釣って調理したら、驚くほど美味かった事です。


ヤッパリ美味しい思いをするには、何事にも自分で手間ヒマかけて金かけて、足と手を使えば叶えられると実感した事が、今でも印象に残っています。


美味しい豆アジへの食に対する費用対効果は、スーパーマーケットで購入する価格の数倍はします。


けれども、スーパーマーケットの豆アジの三杯酢では味わえないその美味しさは、釣りする楽しさも相まって、辞められない毎週のルーチンになり、よく通ったモノでした。


家人にも美味しい豆アジを理由(?)に何らのお咎めの声もなく、マァ唯一の息抜きなのだからと半ば、放任されてもいたので結構ハマっていました。


当時は週末に波止釣り通いが習慣になって、それがいつしか獲物はデカイ方が面白い事を感じる様になり、チヌ(黒鯛)釣りにノメリ込み、果てはグレ(メジナ)を追い求めて磯まで出かけるという結果になったワケなのです。


波止釣りから磯釣りへは、ある意味確信犯的移行なのかもしれません。


釣りする面白さとは、獲物(自然)相手のゲーム性と釣りする道具(タックル)にもあって速い話、無数の魅力が釣りには隠されていて、それにハマり込む時間にソンナにテマヒマはかからなかった・・・(>_<)


何時しか磯竿のシナリや曲がり具合にまでコダワリが拡がって、気が付けば磯に上って釣りを楽しむ小腹の出た、中々釣れない裾野アングラーに・・・?


磯に赴けば、色々な(自然)現象にめぐり合えるようにもなりました。


先ずはフカセ釣り(仕掛けを波に乗せて釣る釣り方)をすれば、流れを知る事になります。


そう、見えない流れを知る事に・・・。


釣りが示唆する流れ


簡単な話、海流とは単に旅客船に乗っているだけなら、表層の海面の流れしか気にならないモノです。


特に海流に興味のない人なら誰だって、海の流れとはそんなモノだと普段は感じている事でしょう。


ところが磯釣りを覚えて、魚を釣るという行為の中では、潮の流れに気が付きます。


それは表面の流れと底潮の流れの違いという事実です。


さらにそれが判ると判らないのとでは、大きな違いがあるのが磯釣りなので、当初は結構悩まされる現象なのです。


つまりは、その日の釣果に歴然の差が産まれるし、釣りやすさにも差が出てくるし・・・。


逆にイメージが拡がって新たな謎が産まれてきて、その中には謎解きできるモノもあれば、不可解なモノもある・・・。という事なのです。


海の流れ、とりわけ "流れ" とは、色々な事を釣り人に投げかけてくれる自然現象なのでした。


天候(時間の流れ)や潮流で釣れる獲物が変わるのも、磯釣りの妙味の一つです。


それすら初心者には楽しい磯釣りになって、視界に広がる海と空のシンプルな光景は、裾野アングラーのショボイ脳内にも抽象的な"流れ"の奥行や広がりを教えてくれたのでした。


結局そんな発想も、磯から下りた後も世間の流れの色々について、邪推して見たり、想像してみたり・・・。


それは、まるで磯釣りでターゲットの獲物との勝負に重なってくるという現象あるいは錯覚なのかもしれません。


とはいえ時として予知能力が働くのか、"この事件、いずれこうなるのでは・・・?"というデジャブが、フト過ぎったりもして、これって磯釣りジャン的な、ハプニングにも遭遇したり・・・(^◇^)


メディア



アッと言う間の人生とはよく言ったものです。


それは積年の経年変化で指数関数的に心身で受け止めねばならない、人間の一つの事実なのでしょう。


子どもの頃は新聞・週刊誌やテレビ・ラジオの情報が、最先端だった。電報・固定電話が、最速の通信方法だった。


今ではスマホでメールとか、所かまわず即連絡、新聞やテレビが投げかける信頼性や価値すら、ピアツーピアのネットワークで評価の一対象にすらすぎなくなってしまった・・・。


それら古来の情報のみに依存しているのは、もはや世間の流れに揉まれている、頑迷な思考に取り付かれた方々という印象・・・。


その加速度は一層高まって、たとえば一時の産業王国の我が国も気が付けば、GAFAや隣国諸国の席巻で後塵を拝する立場に・・・?


他方では人口の減少、高齢化社会、温暖化等々の喫緊の課題に、今なお後れを取っている政府、増税による生活の圧迫とか、学歴社会の崩壊とか、終身雇用の終焉・年金問題の先細りとか・・・。


様々な悩みが、表層の流れにタユタウ様に広がって、見えている・・・?


おまけに、昨今ではコロナウィルス・・・。


どうなる明日のわが身。ナンテなこと考えていると気が、滅入るばかり。


でもこれってすべて真実なのでしょうか?


という事で、これらの問題に回答を示唆してくれると言えば、一つに今までの歴史観であったり、新たな発想であったり、今まで培ってきた人類の英知や現在進行形の未来への欲求から編み出した情報とか、なのかもしれません。


宇宙は運動している。


私たちに時間の概念が作用しているのは、海面の表層なのかもしれません。


この存在という感覚は、個人の見解で実は、過去も今も未来も空間も個々人で違う何か、なのかもしれません。


とにもかくにも、個々人の捉え方はそれぞれのベクトルが生まれて行きつく先が違ってくるのは、どうやら一つの事実です。

成功する人しない人、途中で他界する人、新たに生まれる人、世間は流転する。


ある人は輪廻転生の様に回転している様な感覚だろうし、別の人は直線運動の様に延々と時空が進行しているのかもしれません。


量子力学では重ね合わせの発想が認められているから、何もかもが一つのレイヤーで無数の何かが重ね合わさっているのが今なのかもしれません。


とにもかくにも私たちは時間の流れの中で、変わって来ました。


いずれは地球を離れて、空間すら変えて生きていくのかもしれません。


こうなってくるともうSF的なお話で、現実性が損なわれているという言う方々もいるのかもしれないけれど、つい最近までコノ現状を予想できた人々っていたのでしょうか・・・?


情報収集の時短化、質や量、鮮度とか真偽も相まって私たちは、あの頃以上に知る方法を身に付けられるようになりました。

2020年2月5日水曜日

瞑想 健康 感動



世間では、瞑想と言えば宗教の色合いをイメージします。


けれども、純粋な瞑想はむしろ哲学的な行為に近く、人が宇宙と一つ・同等という一見、怪しい思想の様にも思われたりします。


私たちは義務教育を受け、その中のほんの一握りの人が優秀な成績で、最高学府へと進学し最先端の知識を研究しています。


その様な彼らの中の更に光彩を放つ天才は、いわゆるノーベル賞受賞する世界クラスの天才だと、言います。


ほんの数人の天才すらも理解しえない極致の発想を彼らスーパーな天才は、難解な数式をあやつり(?)、この世を知ろうと努力する。


そして私たちは微細な世界から、銀河系すらチリの一粒の様な宇宙のイメージを、彼らからオボロゲながら教授されます。


万有引力から、相対性理論、そして量子力学は彼らの努力で、ある程度まではそのベールを覗き見る事が出来ているのが、現代なのだそうです。


ノーベル賞クラスのそんな大天才の皆様はおしなべて、哲学的な発想を考えざるを得ないそうです。


究極は人の存在とか、時間とか、空間とかエネルギーも未だ、人知の及ばぬところがあって、その辺りの考察はもう、宗教的な拠り所がないと、うまい具合には説明できないそうです。


それは、既存の宗教ではなくて、大宇宙の営み自体を神として・・・?


大宇宙の神は私たちでもあり、その一部かもしれないし、客観的な対象なのかもしれないし、そのどちらでもないし、どちらでもある・・・。


とか、何ともとりとめのない回答が返って来たり・・・?


事、物理学と数学は数式で探求されて、臨床ではなく真理に近い学問とされています。


けれども、確率論で解に幅が出てきたり、ダークマターやエネルギーの存在がイメージできるようになっても、それが何なのかまだまだ不明だし・・・・。


まだ未知なる部分を探求されている人類の最先端の頭脳でも、行きつくところ哲学的なイメージで、瞑想とリンクするそうです。


瞑想と言えば、釈尊の悟りのあの瞑想で、ビパッサナー瞑想が有名で、これなら有志ある人々にも体幹できるそうです。


解脱・無欲・無反応の本当の意味は苦からの解放、良く生きるための手立てであることを、頭で理解するのではなくて体感するというのが、ビパッサナー瞑想です。


心身の健全を追い求める時、この瞑想は結構貢献してくれていて、書籍もたくさん出版されています。




ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法

2020年2月4日火曜日

経済 本質 将来

 


私たちは国籍を持って生きています。


どこかの国で住んで、その国が平和なら納税と勤労の義務が発生するのが一般的なお話。


生きていく国が平和な国なら幸いです。争いや国際的に非難を浴びている様な過酷な国なら大変です。


少なくともこの国の場合、教育を受けなければいけません。義務教育とは当人も国家にも負わされている義務。


そこで教わる教育とは生きていく上での読み書きそろばん以上の知識を受けさせてくれます。


人は社会を営んで生きて行かないとイケマセン。


文字を読めて書けて理解できないといけないし、数字の概念も理解できないと生きてはいけません。


そんなの当たり前と言われれば当然なお話。


この教育で世間は、個人の頭脳が明晰かどうかを判断したりするのが、普通のいわゆる常識になっています。


学歴や職歴で判断されている・・・。


その様な価値観はソロソロ限界に達して来そうな社会の将来が今、巷で騒がれ始めました。


お国は生涯就労できる企業が減って来て、リタイア後の年金も満額の支給額は生活費に比例できなくなってきて、老後にもなにがしかの所得を国民に強いる様に迫っている印象です。


幸いにも不労所得のある皆様なら幸いです。でも就職して企業や団体から支給される一般に言われている、サラリーマンにはつらい将来が待ち受けている・・・?


たとえ頭脳明晰で、立派な教育を受けて就職したとしても将来に不安が募る社会が、大きな口を開けて待っている・・・?


何とネガティブな将来・・・?


でも実は人類は過去、様々な苦難を乗り越えて来ました。なので、これからも過去にそうして来たように行動しないといけない。


そうしないと暗い将来が待っている。それには今までの常識では歯が立たない。


せめてお金の知識を身に付けておかないと貨幣経済・自由主義経済な世間の波を上手くは進めない・・・?


今からでも遅くはないお金の知識は、身に付けておいて損はないでしょう。




金持ち父さん貧乏父さん改訂版 アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 [ ロバート・T.キヨサキ ]

 

2020年1月28日火曜日

日本 ルーツ 土器




この国のルーツは奈良や京都とかの場所ではなく、縄文時代という事をアートで終始表現した人と言えば、岡本太郎。


生前彼の芸術には賛否両論で国内はフィーバーしました・・・。フランス語はペラペラ、ピアノも流ちょうに弾きこなし、民俗学をマルセル・モースに師事して造詣も深く、師より弟子として三人のうちの一人として称賛されたとか・・・。


いわゆる天才の彼が有名になったのはヤッパリ、太陽の塔・・・?万博のシンボルは人類の進歩と調和を否定していた。太陽の塔は人類の多様性とか生命の格闘の歴史を内在したモニュメントだった・・・。


他方で彼の「芸術は爆発だ!」というスローガンが有名になって、正しく彼の芸術は非凡な作品が多くて、未だに賛否両論・・・。「グラスの底に顔があったっていいじゃないか。」とCMにも出演して、粗品のウィスキーグラスもデザインして、彼のアートは庶民的で親しみを惜しみなく私たちに提供してくれました。


縄文式土器を火焔型土器と名付けたのも岡本太郎だったとか・・・?縄文時代は1万年以上も続いて正しく、この国のルーツなイメージです。


土器は日本がルーツなのだそうです。陶磁器のルーツは日本だった。金属製の食器もあるけれど食をおいしく表現してくれるのは陶磁器の方に軍配を上げたくなるのは、古来よりのDNAなのでしょうか・・・?

2020年1月27日月曜日

芸能ニュース 夫婦 人生 回答



人間とはわがままな動物・・・・。 ふれあいを求めたいときもあれば、厭(いと)う時もある・・・。


サルの仲間はグルーミングで集団の団結をしていると言われて、彼らのその光景を微笑ましく見える時もあれば、滑稽に思える時もあったり・・・。


さて人間は互いに気が合って結婚して、一生を円満に過ごせれば幸いなのですが、長い人生色々あってそもそも生物には波がある。さらに雌雄の差はどうしても如何ともしがたく、ときに引力と斥力が作用したりする。どんな動物でも成熟すれば、耐える時も訪れる・・・?


人の社会では、男女の対に第三者からの目が、当人たちにも大きく作用したり、夫婦は互いの人生に貢献してくれたり、一時の後悔を覚えたり・・・・。


有名人の不倫はその人への世間の目が、一つの色を貼り付けられる様にもなって、ご本人の好感度とか温度差が変化して大変な事でしょう。


加齢に伴う雌雄への相対し方は人それぞれ、個人的にも徐々に変わって行くし、相も変らぬ性差もあるのでしょう・・・。若い頃の悩みも歳を重ねれば、その色合いも変わって来て、そのことへの対し方も変わってきたり・・・。


例えば覚醒しているときは、何事もない過去の思い出が夜、寝て夢見でトラウマが顕われて、心悩ませる悪夢を何度も見て不快な目覚めをして、アァー夢かぁ~、な時もあったり・・・。


こうなると、夫婦生活を終えるまでは覚悟と諦観と修行と誇りを捨てて、生きて行かねばならない・・・?世の中、女と男しかいないのに人は飽きもせず、芸能ニュースに聞き耳を立てたり、我身を顧みたり・・・?


けれども、互いに会話のある夫婦は、幸せです。子どもたちも会話のある両親のもとで育つほど、社会で活躍してくれる可能性は高い様です。出来れば家族円満こそが子供たちの情操教育には貢献していて、夫婦の円満度は次世代の方が高くなる確率は高くなっている様です。


老後の幸福論は、夫婦の共有(家事・調理・会計)とか孫の教育とか、近隣の皆様とのお付き合い、福祉に回答があるのかもしれません。とにかく夫婦の人生には、死ぬまで油断は禁物の様です・・・?

2020年1月23日木曜日

船釣り タックル考

船に乗って、これだけ釣れました。

竿とリールのお話。



実際に自分で釣ってみたら、ネットや世間の評判以上に美味かった獲物が、殆んどでした。

ハッキリ言って、養殖と天然の違いはどんなにひいき目に見ても、絶対に天然の魚なのもわかりました。

一度釣りの面白さを経験してみたら、ヤミツキになるかもしれません。

いずれタックルにも興味がわいてきたり・・・。